世界4大企業であるGAFAの1つとして世界で有名な企業、Facebook創設者のマーク・ザッカーバーグのことは皆さん知っているかと思います。
日本では2600万人、世界では26億人もの人に利用されているSNSサービスになります。利用していた方もたくさんいるかと思います。
Facebookをそんな世界中に名が知れ渡る大企業に育て上げた推定資産1兆3000千億円を誇るマーク・ザッカーバーグとはどんな人物なのか、どのようにして成長していったのかをこの記事ではお伝えしていきます。
Facebookとは世界77か国26億人以上が登録しており、世界の7人に1人が利用しているオンラインサービスです。
日記や写真などで投稿して近況を知らせ合い意見交換する事ができます。最大の特徴として、直接の友達だけでなく友達の友達またその友達と繋がりがどんどん広がっていける事です。マーク・ザッカーバーグが19歳の時にインターネット上で友達と交流を深められるネットワークとして作ったのが始まりです。
ネットワークに革命
そしてFacebookは、この恐るべき多い利用者数の影響により圧倒的な広告媒体として莫大な広告収入によって成り立っています。
年商は推定5000億円と言われています。
そんなマーク・ザッカーバーグの成長記録を見ていきましょう。
天才の育て方
マーク・ザッカーバーグは1984年5月14日生まれ、両親にとって王子様でありプリンスと呼ばれるほど大切に育てられました。
そんな息子に溺愛だった父親ですが教育方針は”周囲に流されるのではなく、自身が本当にやりたいことを全力でやらせる”というものだったので、マークが「みんなが持っているから欲しい」とねだったバスケットボールは、買ってもらえなかったといいます。
父エドワードは周りに流される事は断固として反対していたのです。
その一方で、マークがフェンシングのテレビを見ていた時に父親にフェンシングをやりたいと言い出したんです。
「どうしてやりたいの?」と父が聞くと、マークは「強くなりたいからフェンシングをやりたい」と答えました。
翌日、父はフェンシングで使用する全ての用具を購入してマーク応援しています。父は息子マークの本気度を見極めて、マークが本気だと感じたら惜しまず投資をしていたんです。
マークが12歳の時に父はコンピュータを買い与え、コンピュータの家庭教師をつけました。しかしザッカーバーグがあっという間に習得した為、教師はすぐに教えることがなくなってしまいました。
そしてマークに対して父親はこう言いました。先生と相談して人の役に立つソフトを自分でつくるように!
そしてマークが初めて作ったソフトの名前は「Zuck net」です。
このZuck netは歯科医である父親の為につくったソフトで、患者が受付でコンピュータに名前を入力すると、その情報が診察室にいる父親に名前の情報と来院を知らせる事ができるというものです。これにより診察がスムーズになったんです。
ここからマーク・ザッカーバーグのIT界における輝かしい未来が動き始めたのです。
マークは高校に進学してコンピュータに
のめり込む一方で成績が優秀すぎて、学校で学ぶことはもうないから退学したいと父親に申し出ます。
すると、父親のエドワードは「それは違うぞ!」と言います。
学校というのは”人と人の繋がりという人生で一番大切な事”を学ぶ場所なんだぞ。と伝えました。
父親エドワードの考えとして、どんなに優秀は人材でも人と人とのつながりを大切にしていないと幸せにはなれないと確信していたからこその助言なんです。
父親エドワードが子供マークに対した接し方がマーク・ザッカーバーグに大きな影響を与えたのは間違いありません。
ビル・ゲイツも認めるマークの才能
そして、マークは18歳の時にあのビル・ゲイツが認めるほどの画期的なソフトを開発したんです。
その名はシナプスメディアプレーヤーです。
シナプスメディアプレーヤーとは、ユーザーが聞く音楽の趣味をコンピュータが自動的に学習して好みに合わせた曲をオススメするというソフトです。
このシナプスメディアプレーヤーを誰でも使えるようにインターネットで発表します。すると、数日で何千人ものユーザーがマークが作ったシナプスを使用し始めたんです。
その結果、シナプスを買い取りたいとあのビル・ゲイツのマイクロソフト社が言ってきたんです。
“その金額は驚きの約1億円“
当時18歳のマークにとって1億という金額は計り知れないない大金だったに違いありません。
しかし、マークはビルゲイツにこう答えました。『シナプスは誰にでも役立つソフトとして開発したのもので、お金儲けの為に作ったものではないですし、売るつもりはありません。』
すでに世界中に名が知れていたマイクロソフト社のビルゲイツに言ったんです。そして、そのシナプスは誰もが無料で使えるフリーソフトにしています。
この時のマークの考えはコンピュータは人の役に立つ為の道具といった父親の考えが影響しています。
Facebookの誕生
サイト作成に夢中になっていったマークが
遂に19歳で運命のサイトを立ち上げるんです。
2004年2月4日Facebook誕生
ハーバード大学の学生たちの為にFacebookをオープンします。これはネットワークで
みんなを結びつけるオンラインサービスとして公開しました。
ハーバード大学限定で開始していたんですが、その広がり方は爆発的であり、わずか4日で650人が加入します。そして、3週間後には6000人という驚異的な速さで増加していきました。
更に他の大学からも問い合わせが殺到し為、コロンビア大学やスタンフォード大学など9つの大学でも使用できるようにしました。
そしてマークはFacebook社を設立して一般の人にも使えるようにしました。
Facebook初期メンバーと決裂
設立後、瞬く間に成長したFacebookの元には多くの企業が買収を持ちかけた。初期メンバーの多くは買収額の大きい企業に応じるよう求めたが、ザッカーバーグは応じませんでした。利益を求めるより、役立つサービス作りを優先したかったのです。
まとめ
Facebookが公開されてから5年後には推定480億円にも及ぶ年商があるとされ、その3年後には株式を上場させて4大企業GAFAのひとつとして名前を轟かせています。
今ではFacebookの存在は、利用者約26億人にも及ぶ世界最大のネットワークなんです。
そんな大成功を収めたマークが、父親に育ててくれた感謝の気持ちとしてFacebook社の株200万株(現在57億円の価値)を渡そうとしました。
ところが、父親はお金儲けの為にお前を育てたわけじゃない、一番の報酬はマークの成長だと感謝を伝えて株を受け取りませんでした。
そして、父エドワードは
『いつも息子を信じていて、強制的にならないように子供が得意なのは何なのか認識し花が開くサポートをしただけなんです。』
このような父親の姿勢が、新たな世界に果敢にチャレンジしていくザッカーバーグを生んだのかもしれません。
Facebookは、マークと父親のエドワードの
お互いを思い合い人と人との繋がりを大切にする考えからできた産物だったんです。
こうした世界を変える天才が、今もどこか新たに生まれようとしているのかもしれませんね。
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